ワタシのカヤック歴 その1

まだまだ寒いので、川には出る気になっておりません。
書くこともないので、自分のカヤック歴について書いてみたいと思います。
ちなみに、これはmixiの「関西ちゃぷちゃぷ隊」というコミュニティにぽつぽつ書いている文を加筆訂正したものになります。重複してお読みの方、ごめんなさい。
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私がはじめて、カヤックというものに触れたのは、たぶん14年くらい前のことになると思います。ちなみにシーカヤックでした。
当時、まだインターネットは一般的ではなく、いわゆるパソコン通信の時代で、私はニフティ・サーブで通信をしておりました。とあるフォーラムのオフライン・キャンプを琵琶湖でやった時に、シーカヤックを持ち込んだ人がいて、そのフネに数分間乗せてもらったのが最初のカヤック体験です。
その体験は、乗ってすぐ沈という結果に終わり、メガネバンドを持っていなかった私は、必死に眼鏡を抑えて脱しました。その時の体験は、それだけに終わってしまいました。

ワタシのカヤック歴 その2

はじめてシーカヤックに乗った(一瞬ですが)体験の翌年春。
私は、カヤックの初心者講習を受けました。
アウトドアメーカーのモンベルのやっているMOCの講習です。
MOCは近畿では奈良吉野川などで講習をやっていますが、私の参加したのは明石の海水浴場で行われたものでした。
その時に乗ったフネは、パーセプションのダンサーXT(体重の重い人用)でした。講習らしいのを受けたのは、この一回だけ。
(後にカナディアン・カヌーの体験講習を受けたことが一回ありますが)
講習後、私は自艇を購入しました。ファルトボートで、ノーティレイのカナールという艇です。日本での発売初年度でした。ちなみにこの艇は今でもまだ家にありますが、もう7年以上組み立てていません。
書き漏らしましたが、私を最初にシーカヤックに乗せてくれた人は関東の人だったので、当時私はまったく仲間がおらず、ひとりでの活動しかできませんでした。
一度、MOCのツアーに参加した他は、ひたすらひとりで漕いでいました。この当時の私のフィールドは木津川の笠置~木津でした。

ワタシのカヤック歴 その3

ファルトのカナールを持って、その年はひとりでいろんな川に行きました。といっても、すべて難易度の低い川ばかりでしたけど。
木津川を中心に、北山~熊野川、四万十川(江川崎~中村)、そして紀ノ川(五条~橋本)。
二度目に紀ノ川に行ったとき、事故に遭いました。
その日はやや増水気味で、流れが早かったのです。
そして、その流れがテトラ群に流れ込んでいました。
私の艇は、テトラを避けきれず、衝突し、横向きにはりつきました。
いま思うと、やはり流れを読む技術、操船技術など、全然身についていなかったんですね。
木製フレームのファルトですから、はりついて流れを受けてはひとたまりもありませんでした。完全にフレーム破損し、メーカー送りとなってしまい、その年の挑戦はそれで終わってしまいました。

ワタシのカヤック歴 その4

事故を起こした翌年…。
春にはファルトの修理も終わり、川に復帰しました。
この間に変わったことといえば…。
ニフティサーブに入っていたことは、前に書きましたが、キャンプ・フォーラム(FCAMP)というところで、カヌー・カヤックを扱う会議室が出来、そこに書き込むようになったことです。
フォーラムというのは、ニフティサーブの中の同好会みたいなもの。会議室というのは、テーマ別掲示板(BBS)と言えばおわかりになるでしょうか。
従って、オンラインでの仲間は出来てきたのですが、実際のフィールドでの活動はやはりひとりで木津川などに出かけていました。
その年の秋、はじめて関西で会議室の仲間が集まろうということになり、木津川の笠置の河原でオフライン・ミーティングが行われました。十数人は集まったでしょうか。
一日目はキャンプと宴会、二日目に木津川を加茂まで下りました。この時のメンバーとは、後に長く仲間としてつきあうことになった人たちも含まれていました。

ワタシのカヤック歴 その5

木津川のオフライン・ミーティングで知り合った人々のうち数名とは仲間となり、その年の秋から冬にかけて、木津川、長良川(美濃市より下流)、そして今いちばんよく漕いでいるフィールドである由良川などに出かけました。
その出会いの中で、私自身少しカヌーライフについての考えが変わりました。それまでファルトで漕いでいたわけですが、ポリエチレン製のプレイボートに乗りたいと思うようになったのです。
組立・分解に手間をとられ、帰ってからも乾燥や補修の必要があるファルトに乗っている身としては、クルマから降ろしてすぐ漕げるプレイボートがうらやましく思ったのです。
その年の12月、私ははじめてのプレイボートを購入しました。ちなみにレットマンというメーカーのオリンプ335という艇でした。335というのは長さをセンチメートルであらわした数字です。
今はプレイボートといえば2メートル前後が当たり前ですが、その当時は3メートル台の半ばが普通の長さでした。ずんぐりした、あまりカッコいいとはいえない艇でしたが、安定性は抜群で、私はこれでホワイトウォーターの領域に足を踏み入れることになったのです。

ワタシのカヤック歴 その6

プレイボート(レットマン オリンプ335)を買った翌年、春が来ると同時にロールの練習をはじめました。結局、なんとかモノになるまでには半年以上かかってしまいましたが、自分が苦労した分人に教えるのは今でも上手なつもりです。
この年は今までにも増してアクティブに川に出ることになりました。ちょうど、ニフティサーブの会員数が急激に増加した時期にあたり、仲間も急速に増えていきました。
ホワイトウォーターでは、長良川(現郡上市区間)や木曽川(日本ライン)などにチャレンジし、ファルトでは、四万十川(土佐昭和~河口部)を一週間かけてツーリングするなど、この時期は両方を並行して遊んでいました。
その年の秋、それまでのコミュニケーションの拠点であったFCAMPから分離独立のかたちで、FODS(カヌー&アウトドアスポーツフォーラム)が設立され、仲間の輪はさらに広がることになりました。
私自身としては、新しくクォリティカヤックスのバンディットというプレイボートを購入しました。それまでの艇より、かなり鋭角的でカッコいいフネでした。

ワタシのカヤック歴 その7

さらに翌年になると、どんどんホワイトウォーターに傾斜していきました。やはり、クルマから降ろしてすぐに乗れ、帰るときもクルマに乗せてすぐ帰れるという簡単さが気に入ったということです。
逆に、ファルトでツーリングという機会は少なくなってきました。
ロールができるようになって自信もつき、仲間も増えたこともあって、毎週のように川で遊んでいました。といっても、今とはだいぶ遊び方もちがいます。
まだ日本ではロデオ遊びというのははじまったばかりの時代で、サーフィン、エンダー(艇首を食わせて縦になるだけ)、ピロエット(エンダーした後水平方向に回転)がせいぜいでした。
この時期の仲間というのは、ニフティサーブのFODSから来た人ばかりだったんですが、毎週のように川で遊ぶためにある種のグループができていて、メールなどで連絡をとりあっていました。
私は今もむかしもクラブなどに所属したことのない、ネットワーク・パドラーです。このネットワーク、というのは通信のネットということであるとともに、人と人とのネットワークでその時々の漕ぎ仲間を得てきた、という意味でもあります。

ワタシのカヤック歴 その8

ニフティサーブのFODS(カヌー&アウトドアスポーツフォーラム)をベースとした活動はさらに2~3年続いたんですが、その間にひとつ私のネット環境が変わりました。インターネットに接続したんです。
まだようやくISDNという接続環境だったんですが、とりあえずネットに接続したことで、いろんなWebを見ることができるようになりました。
しかし、当時は日本ではまだカヌー関係のサイトというのはごく限られたものしかありませんでした。そこで、私は自分でそれを作ることを思いたちました。
最初は、単なる個人の漕ぎ日記的なものだったんですが、自分のよく行く川の情報を発信しようということもあって、個人ドメインをとったのを機会に、WestJapan WhiteWater Web(略称W4)というサイトを立ち上げました。たぶん、リバーカヤックのサイトとしては日本ではじめてくらいだったと思います。
そこでは、自分がホームゲレンデとしていた由良川などの川地図など、さまざまな川遊び情報を書き込みました。後年、その情報を得てはじめて由良川に行ったなどの話を聞くことがあり、やっぱりやっていてよかったと思ったものです。

ワタシのカヤック歴 その9

W4を立ち上げた頃には、すっかりホワイトウォーターづいてしまっており、ファルトのカナールは、出番がなくなってしまいました。
だいたい、日帰りでの川遊びは由良川、奈良吉野川、それに泊まりでは春秋は長良川、夏ごろは北山川、木曽川日本ラインと、パターンが決まり、メンバーも固定化されてきました。
この頃がなんとなく、一番楽しかったような気がします。
ネットワークのほうでは、W4に続いて、メーリングリストのWCB(Whitewater Communication Board)というのを立ち上げました。
まだ、この頃は現在のように、あちこちでカヌー・カヤックの掲示板がなく、インターネットで話ができる場所が少なかったせいもあり、北海道から九州まで一時は150名以上の登録者がいて、たいへんにぎやかにコミュニケーションが行われていたものです。