大阪在住パドラー"かば"ののほほんカヤック記

ワタシのカヤック歴 その7

さらに翌年になると、どんどんホワイトウォーターに傾斜していきました。やはり、クルマから降ろしてすぐに乗れ、帰るときもクルマに乗せてすぐ帰れるという簡単さが気に入ったということです。
逆に、ファルトでツーリングという機会は少なくなってきました。
ロールができるようになって自信もつき、仲間も増えたこともあって、毎週のように川で遊んでいました。といっても、今とはだいぶ遊び方もちがいます。
まだ日本ではロデオ遊びというのははじまったばかりの時代で、サーフィン、エンダー(艇首を食わせて縦になるだけ)、ピロエット(エンダーした後水平方向に回転)がせいぜいでした。
この時期の仲間というのは、ニフティサーブのFODSから来た人ばかりだったんですが、毎週のように川で遊ぶためにある種のグループができていて、メールなどで連絡をとりあっていました。
私は今もむかしもクラブなどに所属したことのない、ネットワーク・パドラーです。このネットワーク、というのは通信のネットということであるとともに、人と人とのネットワークでその時々の漕ぎ仲間を得てきた、という意味でもあります。

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